トピックス 次世代フォーラムで知った
小児がん闘病の実態

次世代フォーラムで知った小児がん闘病の実態

334-A地区(速水清朗地区ガバナー)は2月2日、TKP名古屋カンファレンスセンターで「ライオンズ次世代フォーラム2026」を開催した。50歳未満の会員を対象としたフォーラムであったことから、参加者約70人の中には、入会間もない会員も多く含まれており、次世代を担う立場として初めて地区主催事業に参加した会員の姿も見られた。会場はフレッシュな熱気に包まれ、若手メンバー同士の絆も深まり、今後の地区の活動の活性化につながるフォーラムとなった。

メインプログラムは、小児がん克服支援に尽力されている山岡紗恵子氏による講演「小児がん闘病の壮絶な実態:ある母親の証言」。約70人の出席者は、経験に裏打ちされた話を通じて小児がん支援の重要性を再認識すると共に、奉仕の精神を深く胸に刻むことができた。

山岡氏の語る一つひとつの言葉に会場は静まり返り、闘病の現実、家族の葛藤、そして支援の尊さに触れ、多くの参加者が目頭を熱くしながら、自らに何ができるのかを真剣に考える時間となった。若い会員たちにとっては「ライオンズクラブの奉仕の原点」と真正面から向き合う貴重な機会となり、世代や在籍年数を超えて、奉仕の意義を共有する極めて有意義なフォーラムとなった。

ライオンズクラブのグローバル重点分野の一つである小児がんについて理解を深めるために、以下に講演の内容を詳しく紹介したい。

小児がん闘病の過酷な現実

京都から来た山岡紗恵子さんは、3人の男児を育てる母として、末っ子のコウタくんが小児がん(白血病)を発症した経験を証言。発覚は今から10年前の2015年、当時コウタくん3歳。緊急入院先で抗がん剤治療の日々が始まった。病棟の実相を伝えるため、紗恵子さんは同じ病棟で治療を受けていた男児の闘病の様子を語った。

1週間カーテンは開くことなく、うなり声、お母さんの弱々しい声、看護師・医師の出入りが続いた。最大限の痛み止めが投与されていても耐え難く、嘔吐(おうと)の処理は自力で体をずらせないほどの苦痛の中で行われた。その治療サイクルの終わりに、回復した高学年の子は「このまま痛すぎて死んでしまうと思った」と語った。薬が入っている2時間の間、経験したことのない頭痛に襲われ、脈が打つたび、プロレスラーにブロック塀へ頭をぶつけられているような痛みを感じたという。薬剤の投与は1週間の間に1日おきに3回、1回あたり2時間の点滴。治療では数種類の抗がん剤が使われ、それぞれに異なる副作用がある。病変に合わせた薬の組み合わせ・回数は治療データに基づき定められており、男児はこのサイクルを1週間かけて終えた後、ひと月かけて体のダメージ回復を待ち、翌月にまた同じ流れを繰り返す。

がん細胞を破壊するには、かくも過酷な治療に耐え続ける必要がある。病棟では、眼球摘出や手足の切断、放射線治療など外科的処置を伴うケースがあり、固形腫瘍の多くは外科手術後も再発予防のため致死量ギリギリの抗がん剤治療を何カ月も受ける。予測外の合併症が起こると、親子の緊張は極限にまで高まる。24時間寄り添う親が倒れ、病院内で親の救急搬送が起こることも珍しくない。これが小児がん病棟の日常であり、コウタくんが入院していた約1年間に出会った闘病仲間の半数近くは既に亡くなっているという現実が語られた。

別の母親の証言として、生後半年で脳腫瘍が見つかり初めから治る見込みがないと告げられた「ヨシくん」の話も紹介された。入院生活は痛いこと、しんどいことばかりで、子どもらしいことが一つもできないまま死んでしまうことが何よりつらかった。院内で行われたイベントで初めて見た乗り物に目を輝かせ、夢中で乗り続けるヨシくんに寄り添ってくれた背広姿の男性の優しさが「神様にしか見えなかった」という母親の言葉は、わずか2歳で旅立った子の写真を見つめる悲痛さと共に、支援者の温もりがどれほど救いになるかを伝えていた。

生存への道筋:骨髄移植の決断と家族の葛藤

コウタくんは定められた治療を終えたものの、体からがん細胞を完全に排除できず、退院後2カ月で再発。再入院は家族の生活を再び引き裂き、コウタくんの兄たちも大きなショックを受けた。コウタくんには骨髄移植しか生き残る道がなかったが、2人の兄とは適合せず、骨髄バンクでもドナーが見つからず、準備は困難を極めた。医師から示された「最善」の策が次々にふさがれ、助かる可能性が奪われていくような時間だった。

残されたわずかな選択肢の中、少しでも副反応を避けられる可能性を考慮して決断したのは、父親からの同種造血幹細胞移植。紗恵子さんは移植前夜、自身の父の写真を幼いコウタくんに見せ、「もしこのおじいちゃんがコウタのところに来てくれたら、この人についていくんやで。絶対に守ってくれる」と言い聞かせた。涙や声の震えを悟らせないよう必死に伝えると、コウタくんは「うん、分かった」と無邪気に応え、紗恵子さんはその後、無菌室前のトイレで声を殺して泣いたという。翌日、父親からの移植手術を決行。拒絶反応を何度も起こしながらも新しい細胞を受け入れ、健常な血液が作れるようになり、2016年の夏、抗がん剤治療・同種移植という壮絶な過程を乗り越えて家族の元に戻ることができた。

それから10年、日々の記憶は鮮明なまま。「小児がんは過酷」であり、深刻な告知のたびに「退院後に元気に暮らせている子はいるか」「普通の子のように外へ出られるようになるか」を問い続けたという。

愛知県・弥富ライオンズクラブが開催する小児がん克服支援のチャリティマラソン大会(2023年11月12日開催)に出場し、骨髄バンク登録を呼びかけるコウタくんと紗恵子さん→ライオン誌2024年春号

社会への祈り:骨髄バンクへの理解とドナー休暇制度導入の訴え

移植しか助かる道がない患者が骨髄提供を待ち望む中で、適合者が少ないと言われた時、「道行く全ての人に『骨髄バンクに登録してください』『うちの子を助けてください』と叫びたい衝動に駆られた」と紗恵子さんは語る。これが経験者が骨髄バンク普及を求めて活動する理由である。

紗恵子さんの周囲では多くの人の協力によりドナー登録者が増えている。ちょうど1年前、友人の一人から「ドナーに選ばれた」と連絡があった。その友人は提供を決意したものの、翌日、職場で「1週間休んだら誰が仕事をするのか」「見ず知らずの他人のために休む必要があるのか」と問われたと、泣きながら電話をしてきたという。

これは個別の職場に限らず、多くの中小企業で1週間の休暇取得が容易でない構造の問題である。骨髄バンクのドナー登録者の母数を増やすことは重要だが、一方で提供者が「仕事を休ませてもらえない」ために断念する事例が多く生じているのも事実だ。ドナー側は全身麻酔・入院・骨髄採取、回復というプロセス、家族との調整など、命を救うための重い責任を理解した上で決意を固めている。

休暇を認められない現実に直面した友人は、「社長や部長だって、いつ病気になるか分からない。家族が移植を必要とするかもしれない。経営者が病気やバンクを正しく知ってくれたら」と話している。厚生労働省が進める制度として既に「ドナー休暇制度」が存在し、導入済みの企業もある。より多くの企業による制度導入が、社会全体の意識の底上げに不可欠だと、紗恵子さんは強く要請する。

コウタくんの入院中、形を問わずさまざまな支援があった。長男の同級生の祖母は、大学病院に弁当を差し入れに来て「母親のあなたが誰よりもつらいでしょう」と手を取って励ましてくれた。「小さな温かさが深い沼から引き上げてくれる力になる」と、紗恵子さんは述べた。

個人でできる規模では、入院中の子どもたちのために病院に乗り物を運ぶことも、チャリティーマラソン大会を主催することも難しい。しかし、個人・企業・ライオンズクラブなどそれぞれの立場によって提供できる支援はさまざまあり、「その積み重ねが(患者と家族の)過去・現在・未来を救ってきた」と講演を締めくくった。

2026.02更新(334-A地区地区GSTコーディネーター/倉知清和)

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